1959-03-27 第31回国会 衆議院 決算委員会 第15号
○森脇参考人 私が手持ちしております書類のうち、私が原本を写真にとってありますものは、私は随意に提出することができます。しかし、この極秘書類等々につきましては、私が西野秘書に対して、調査完了次第これは返還するという預かり証を出しております。彼らは吉村証人が出た後、私の方第一類第十四号決算委員会議録へ電報も何通となくよこしました。私の方の会社、私の自宅、あるいは別荘に彼らは参りまして、ぜひ返せ返せという
○森脇参考人 私が手持ちしております書類のうち、私が原本を写真にとってありますものは、私は随意に提出することができます。しかし、この極秘書類等々につきましては、私が西野秘書に対して、調査完了次第これは返還するという預かり証を出しております。彼らは吉村証人が出た後、私の方第一類第十四号決算委員会議録へ電報も何通となくよこしました。私の方の会社、私の自宅、あるいは別荘に彼らは参りまして、ぜひ返せ返せという
○森脇参考人 それは、私の立場といたしまして、現職にある人もありますし、いろいろな関係がございますので、ちょっとその人たちの立場上、その名前を言うことはできないのであります。しかし、少くとも天川の秘書の宮田であるとか、天川をお呼び出しになって、彼らがもしほんとうのことを言うならば、次第に明らかになると思います。何としてもこれは天川、宮田を呼んで御究明になることが絶対のものである。小トラック一ぱいにいろいろな
○森脇証人 そうなりますと、私は廣岡さんに直接聞いてもいいですが、私のメモは絶対相違ないということを、ここで、はっきり明言いたしておきます。
○森脇証人 私はこの間参考人になりましたときに、いろいろ、あなたでしたか、神だとか何とかいうようなことでしかられましたが、私は自分の人生観上、人間というものは神のごとく十全にできない。従って、私は一歩を譲つて、一部の点に多少の相違があるかもわからということは、神でない人間であるからということでお話いたしましたが、廣岡局長がああいうことをいわれる限りは、私はきようは神に通ずる精神を捨てて、皆さんと同じ
○森脇参考人 一昨年の初夏のころにある宴会がありまして、これは三十人くらいの人でありますが、その席の中で座談的に話が出ました中で、天川勇という奇怪な人物があるということを聞いたのであります。そのとき私は別に大したこととも思わず、そのまま流しておったのでありますが、私は毎日、日記、随筆らしいものを書いております。従ってその夜、深夜にその日の出来事を書きつづっておるうちに、私のペンに走ったのが奇怪な天川勇
○森脇参考人 事は、昭和三十三年の十月三十日でありますが、衆議院予算委員会において国防予算の審議がございました。そのときに、委員である社会党代議士今澄勇氏が、私に関する発言部分がありました。それを要約いたしますと、貸金を少し取りそこねた町の高祖貸しが、その手形の回収のために作った、たかが一片半句のメモ云々ということ。第二は、高利貸しが自分のソロバンに合うために調査をしている云々ということ。第三は、検察当局
○森脇参考人 私、ちょっとここもとかぜを引きまして、のどを痛めておりますので、あるいは声がよく出ないかもしれませんが、もしわからぬところがあったらまたお尋ね願いまして、できるだけつ大きい声を出すつもりでおります。と同時に、そういう関係で私はきょう和服を着て参りまして、はなはだ失礼でございますが、お許し願います。 それから、今いろいろお尋ねがございましたが、それに先んじまして、私は一言発言を許していただきたいのですが
○森脇証人 全然持っておりません。
○森脇証人 そうです。
○森脇参考人 一番最初の早川社長と会つたことがあるかという御質問にお答えします。その手形を取得する当時というものは、そういうわけでありますから、早川社長などに会つたことはさらさらなかつたわけであります。それが昨年の十一月の初旬と思いますが、私の友人に元代議士をしておりました長谷川政友というのがおります。これが福井県の出身であり、それから早川社長がやはり福井県の出身でありました。同郷同窓の関係で非常に
○森脇参考人 それは大体いろいろ一流の手形などというものは、ひとり猪股ばかりでなく、私の方に参ります。その真偽というものは、大体多くの手形のことであるから、私の方に取得しておるものと比べてわかるわけです。それが一つと、それからいま一つは、私の方では必ず銀行に掲示するということをいたしております。私は当時猪股を絶対信頼しておりましたのが一つと、それからもう一つは、猪股が、高利貸しにこういうものを担保として
○森脇参考人 今お尋ねのありましたうち、猪股功なる者が日通関係等々に登場して参りますいきさつからお答えいたします。 御存じの通り、終戦になりまして、日本が占領政策の中に置かれるようになつたときに、猪股はお父さんが交通公社の生みの親であるというような関係から、鉄道に深い因縁があつたわけです。ところが司令部がいろいろなセクシヨンにわかれていて、交通関係の担当者であつた、名前は忘れましたが、何とかいう大佐